ガンダムGQuuuuuuX:拳で語り合うことでしか解決しないのではないか―最終回前感想

毎週楽しみにガンダムGQuuuuuuXを観ていました。気が付いたら今夜がもう最終回!リアルタイムでは眠たくて視聴できないので、早朝に起きて、ネタバレ回避のためスマホは開かずに録画した番組を立ち上げる日々ももう終わりです。最終回に向けたこれまでの感想をまとめます。

マチュがシュウジに執着してしまった理由

第7話「マチュのリベリオン」で、ニャアンはマチュもガンダムもいらない、2人で逃げよう!とシュウジにすがりつきました。ここだけ取り出すと友だちとの三角関係の果てに好きな男の子へ感情をぶつけた、という恋愛ドラマになりますが、ちょっとおかしいです。クランバトルの仲間たちであっても、ニャアンとシュウジはろくにコミュニケーションしてないし、一般的な恋愛物語の文脈が成立していません。
私は、マチュとの関係が物語を動かしたと考えています。難民として迫害されることは仕方ない、世界に居場所なんてないというニャアンですが、マチュはそんなニャアンの様子に心を動かされ、幼い正義感でありますが、サイド6で横暴をはたらく軍警のモビルスーツにいきなり立ち向かっていきます。第5話「ニャアンはキラキラを知らない」では、偏見をむき出しにした職質に怒りを見せるマチュの手を、「仕方ないよ私難民だから」とでも言いたげにそっと押さえます。結局マチュは飛び出してエグザベに捕まってしまうのですが…
居場所がない、未来にも期待できないニャアン。実存が認められない、肯定されない世界で生きています。そこへマチュは彼女なりの普通な態度で接してきます。ニャアンにとって、マチュは彼女が自覚している以上に自分の生を支えている存在だったのではないでしょうか。そんなニャアンのマチュに対する気持ちは、単純に「友達になりたい」だった気がします。シュウジに対するのと同様、マチュともお互いの気持ちは通じておらず、友達ではないのです。これから友達になるところだったのです。
マチュはマチュで、閉塞感のある日常を過ごしていたら、ガンダムに乗り、ニュータイプ同士の「キラキラ」空間で人を知ることに夢中になってしまい、自分とシュウジの関係が特別なものだという感覚を抱いていきます。そこへニャアンも入ってきたものだから、わけもわからずダダをこねます。そうして、ニャアンはマチュ、つまり自分自身を失ってしまったという感覚に陥ったのではないでしょうか。
そうするとシュウジとの関係くらいしか残されたものがなく、恋愛と錯覚して彼を求めたのだと考えています。
だいたいニャアンは人との関係性をわかっていません。墓参しようとするエグザベに、いきなり「女の人ですか?」ってノー距離感の質問をぶつけるし、「チキンライス食べさせてくれよ」と同僚と世間話をしようとしただけの彼に「は?お前のことなんか好きじゃないし」と警戒心むき出しにしています。気の毒なエグザベ。関係の貧困の中で生きてきたニャアンの悲しさが伝わります。

もうちょっと会話しよう?ね?

友情と三角関係の物語であるようでいて、人間関係の面では何も始まっていないジークアクス。ニュータイプ同士の交感で解決しそうな気もしますが、ニュータイプの能力を全面的に肯定していないのが本作です。なんか二人だけわかったような雰囲気でシュウジはシイコを殺害します。ニャアンはニュータイプとしての能力を利用され、ア・バオア・クーを消滅させます。ニュータイプの能力の助けを得つつ、ちゃんと話そう、ガンダムから降りて河原で殴り合って、それから友達になろうよ!というのが着地点ではないのかなと思っています。
マチュだって母親とろくに会話せずに不機嫌なまま出奔して、残された方は訳が分かりません。母親との関係を再構築して、赤ちゃんのマチュから一人の自立したアマテになっていくのではないでしょうか。
勝手に予想しましたが、裏切られることも期待しています。

その他好きポイント

黒い三連星とのバトルやキケロガでのシャリア・ブルの活躍、カバスの館での出来事を経て、本物の海にもはしゃげない様子のマチュ、突然紫マスクをディスリはじめたセシリアに「それだけはいかん…!」と思ってたら秒殺されちゃったことなど楽しかったシーンはいっぱいですが書ききれません。いよいよやってくる最終回を楽しみに待ちたいです。