不快だと言い続けよう―「赤いきつね」CMを巡る論争に感じたこと
「赤いきつね」ウェブCMの公開とネットで起こったこと
2025年2月、東洋水産の販売するカップ麺「赤いきつねと緑のたぬき」のウェブCMとして公開された動画に対し、性的なニュアンスがあって不快ではないかという声があがりました。
このような意見には、性的だと批判するのは言いがかりだ、いつものツイフェミのお気持ち表明だという冷笑的な指摘も寄せられています。
現在の所、東洋水産からはオフィシャルなコメントはありません。
私自身は、アニメ的な美少女像が強調されていて、公共のCMとしてはちょっと違和感あるかなあと感じました。*1もちろん、露骨に性的な表現がなされているわけではないし、このCMの企画や制作に関わった方たちに悪意や女性差別意識があったとは思いません。
「なぜ良くないのか」はまだ社会常識じゃない
それではなぜ不適切といえる余地があるのか。確かにこのCMでは裸体や性的行為が描写されているわけではなく、わいせつ性のある表現ではありません。頬の赤みや口元の強調表現や吐息、ささやくような声に、そこはかとなく性的なニュアンスが生まれているというくらいでしょう。男性教師が登場するもう一つのCMと比較すると、表現のニュアンスや、残業する男性/自宅でドラマを鑑賞する女性という性差が際立って感じられるという面はあります。
なぜ「良くない」といえるのか説明するためには、表現の持つ意味やジェンダー論を踏まえた、結構難しい理屈が必要だと感じます。そしてその説明は、専門家が言葉を尽くして表現しても伝わりにくいものです。まして、これのどこが問題なのかとフェミニストを嘲笑する人たちに届くはずもありません。
そのため、人によっては不快感が生じるけど、企業側にCM公開中止や謝罪が求められるような案件ではないといえます。
できるのは、声をあげ続けること
今回のCMを良くないと感じる人と、全然問題ないという人の間には深い深い溝があります。良くないという主張が力を持つことはとても難しいと感じられます。しかし、多くの人にその考えが伝わるよう、繰り返し表現したり、わかりやすい表現で伝え続けていくことで、いずれ社会は変わっていくのではないでしょうか。
ほんの数十年前は、コミュニケーションと称して職場の女性のお尻を突然触ったり、職場にヌードポスターを貼ったりする行為が問題視されていませんでした。しかし、今ではそれらは「セクハラ」と名付けられ、誰もがとんでもないことだと感じています。セクハラは人権侵害だよねという社会常識は定着しているのです。
嫌だなあと思った表現に対し声をあげ続けることで、CMで現実にはありえない都合のいい女性像が表現されたり、バラエティ番組で若く容姿の整った女性が添え物のように扱われたりすることは減っていくと思います。ひいては、働くうえで女性の意見が軽視されたり、DVでひどい目にあったり、女性政治家がいつまでも少なかったりという現象が改善されていくのではないかと思います。
今回の騒動を契機に、望ましい広報表現について多くの人が考えてくれると良いと感じます。それにしても東洋水産SNSがこの時期に「フォロワーさん増えないかなチラッ」と悪ノリ的な投稿をし、続々とお仲間企業が「フォローしました☆」とはしゃぐ流れは薄ら寒いものです。