教科書はあくまで紙中心がよいと思う理由

本日の読売新聞ではデジタル教科書の導入について掲載されていた。文科省は活用拡大姿勢だが、以下のような懸念の声を紹介している。

  • デジタル教科書が優れているという根拠がない
  • 記憶には紙の方が優位であるという研究結果がある
  • デジタル機器の操作中は思考が中断してしまう

 

(読者限定記事)

教科書「デジタルのみ」3% 英語授業 「紙と併用」88% : 読売新聞

教科書「デジタルのみ」3% 英語授業 「紙と併用」88% : 読売新聞

 

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教科書「デジタルのみ」3% 英語授業 「紙と併用」88% : 読売新聞

デジタル教科書を「主」にするのは賛成できない

上記記事でもコメントが紹介されている群馬大の柴田教授は、このように示されている。

先頭から逐次的に読むことが多い小説や論説文においては、紙で読んでもデジタル機器で読んでも読みのパフォーマンス (読みのスピードや理解度) に大きな違いは見られません。しかし、業務や研究の読みではデジタル機器に対する紙の優位性が顕著に示されることがわかってきました。こうした読みでは、複数の文書を並べたり、重ねたり、移動したり、ページをめくったり、テキストを指でなぞったりする行為が頻繁に行われます。現状のデジタル機器では文書操作の認知負荷が高く、思考に中断をもたらすことがあります。これが読みを阻害する要因になっているのです。

柴田 博仁 | 群馬大学情報学部

ここで紹介されているような「画面」の光が集中を妨げるというような研究結果も、普段の生活実感と合っている。

www.ricoh.co.jp

やっぱり、何か集中して勉強したり、読書して思考したりする時は紙の方が集中できる。検定試験の準備をする時は、必ず紙の書籍を購入している。スマホタブレットの画面だと、自分が目にする情報が右から左へスーッと流れていく気がするのだ。記録やデータの整理はデジタルが圧倒的に便利だが、何かを振り返って、「この時どう感じていた?」「次はどうする?」と思考するときは紙や手帳に考えや経験を書きなぐる方がずっとアイデアが浮かんでくる。

現在の科学で明らかになっていることが全てではないが、デジタル偏重で学力が低下してしまった後ではもう遅い。現時点ではデジタル教科書の使用割合を大幅に増やすことには慎重であるべきだ。

小学校低学年の息子はというと

小学校低学年の息子がいるが、授業や宿題では普通にタブレットが活用されている。夏休みには鍵盤ハーモニカを練習したり、家事の手伝ったりする様子を録画して提出するという宿題があり、本人も意欲的に取り組んでいた。体育ではダンスのお手本を録画したものが送られてきて、繰り返しながら練習できる。

デジタルならではの学びに活用されていると思うが、それでも学習の中心は紙のドリルで問題を解いたり、読解文を読み込んだりというものだ。

傍から見ていると、デジタルと紙の割合は5:95くらいが適切なのではないかなと感じる。

予算の論理に引きずられずに、子どもの将来を重視して

報道からは、文科省財務省も、GIGAスクール構想で大金はたいちゃったし、デジタル教科書活用しないと格好がつかない、と前のめりになっているのではないかと推察する。それでも、投じた予算があまり効果がなかったとう批判を甘受しながら、子どもたちの将来の学力低下のリスクという取り返しのつかない結果を招かないよう、立ち止まって考えなおさないといけない。